重修文宣王廟記碑

 この碑は、《新修文宣王廟大門記》とともに、碑林建置の歴史を知る上で貴重な資料といえます。碑文によれば、「朱全忠の反乱により、長安城が破壊され、洛陽に遷都した。国軍節度使・韓建が防備のため、皇城を基礎にして長安城を改築縮小し、新長安城を改築した。それが現在の城壁の内側である。このため務本坊は城外になってしまい、石経などは郊野に放置されたままとなった」とあり、当時の状況が解ります。