呉道子写意観音像

 呉道子(685〜758)は、陽翟(河南省禹県)の人で、唐の画家です。彼は幼年期に書を学びましたが、後、絵画に転じ、鳥獣・草木・山水・人物を良くしました。
 観音は、仏教の大慈大悲の菩薩です。慈悲の化身で、世の人の救いの求めに応じて、千手・如意輪・十一面・馬頭などの姿で現れるといわれています。変化しない本来の形を普通、聖観音といいます。一般に観世音・観自在ともいわれ、阿弥陀仏の左に立っています。
 観音の起こりは、すでに紀元前にあると考えられています。最古の音訳(2世紀)である『蓋楼亘』では、観音は阿弥陀仏の脇士でした。ところが『観音経』になると、独立の菩薩として登場します。これによれば、衆生の現実生活において遭遇するあらゆる災難と苦難が、ただ菩薩の名を唱えるだけで、即座に救われます。このさい菩薩は、「種々なる姿」(普門)を示現しますが、そこに説く33身は、後世33種観音、あるいは2本の西国33所など、33の拠り所となっています。
 観音は救世の権化として、多くの大乗仏教の経典に現れますが、その浄土は『華厳経』において南海補陀落山に定められ、その身相は『観無量寿経』において紫金色と示されています。その後も観仏の対象として、その威神力を象徴する普面の形相は、限りなく発展し、十一面・千手千眼など、その変現は多岐にわたります。
 なお菩薩の真言・呪文も多く作られ、その名も「人の願いごとをむなしくしない」不空リ索観音、「思うことをかなえざるなき輪をもてる」如意輪観音などをはじめとして、延命・大聖、あるいは外教的色彩の濃い白身・青頸・一髻羅刹・馬頭など、その種類はきわめて多岐にわたり、たいていはマンダラの諸尊に現われ、また密教的行事と結びついています。准提観音は仏母を象徴するものであり、女神となった観音としては多羅があります。
 中国では、観音信仰は、『法華経』訳以来六朝から唐・宋にかけて盛んとなり、いろいろの名称や形像をもつ観音が案出されてきました。これらの中には、白衣・滝見・施薬・魚籃・水月・蛤蜊などのような、作者の空想や随意な構図によって発生したらしいものも多くあります。また名称には伝説や製作、渡来、出現の因縁にちなんだものもあります。
 観世音菩薩とは、梵語のアヴァロキテシュヴァラの漢訳で、古くは、光世音または観世音とも訳され、また俗に観音とも呼ばれました。原名はアヴァロキタ(光・観)シュヴァラ(音声)であったと見られています。
 が、ある時代に名称の後半のシュヴァラが、シヴァ神に通じるイーシュヴァラ(自在天)の語と置き換えられ、「音声」の意味は原名から消え去りました。
 そこで7世紀に玄奘は旧訳の観世音を誤りとして、「観自在」でなければならないと主張しました。これは原名にこのような変化が起こったことを物語っています。
 「世に光を与える名(音)の持主」を意味する光世音、「悩める衆生(世)の音声をみそなわす(ご覧になる)人」を意味する観世音、いずれも菩薩の慈悲を代表する名です。観自在あるいは観世自在の名も、自在である救世菩薩の活動を意味する点では変わりありません。
 しかし、古い観世音の名が普及しているのは、5世紀の羅什訳『法華経』普門品、いわゆる『観音経』の流行に負うところが多いと思われます。