法琬禅師碑

 法琬禅師は唐の初代高祖李淵の孫で、武則天の時代、中宗の従姑にあたる尼僧で、法琬は諱です。
 碑文によれば、13歳で勅を奉じて出家し、則周の垂拱4年(688)に享年49歳をもって、□□寺において遷化した人で、没年から逆算すると、生年は貞観13年になります。
 この碑は、法琬禅師の徳をたたえて建てられたものです。碑文によれば、法琬禅師は、心中きわめて雅やかで邪気がなく、心にとり守るところ身にふみ行うところ、すなわち品行は事理に明らかで正しく、徳は高く貴く、梵字をよくし、心魄は悪魔を降すほどであったと刻されています。
 建立は、碑文の最後の行に「景龍3年」とありますから、法琬禅師の没後21年を経た中宗在位の末年、すなわち709年の正月15日に、勅をうけて塔を雍州長安県に起し、同じ年の5月1日に建碑されたものです。
 碑の字面の縦は125p、横は70p、1行54字の30行の楷書で、碑文の1字の大きさは、一辺が2pの方形の中に程よい大きさで書かれています。その書は、1字1字が四角張った形で、起筆、終筆、転折などが特に力強く、がっちりとした謹厳な楷書ですが、碑文中には、古文、異体字などもかなり使用されています。例えば、6行目の「鞍」、15行目の「胸」、17行目の「隙」、18行目の「貴」などがそれです。
 碑文の25行目から終りにかけて、4字四六句からなる《清風之頌》が勒されています