美原神泉詩碑

 美原神泉は、西安の東北、渭水の灌域から高台に移る、灌域の北端の位置にあります。現在の陜西省富平県郊外東北地区と考えられます。
 この碑は、碑陽に美原県尉で中書舎人の韋元旦の序文、主簿の賈言淑の詩、集名氏の五言詩各1編を刻しています。
 碑陰には河東3絶の1人として知られた主簿の徐彦伯の序文と、文辞に巧みな河間の尹元凱、左司郎中の温翁念、天官員外郎の李鵬(至遠)の五言詩各1編を刻しています。詩・序ともに美原県の神泉に遊歴したおりの感興をつづったものです。
 碑は両面とも尹元凱の篆書で、《石鼓文》を思わせる素晴らしいものです。しかし現在は石質によるのか、腐蝕も多く不鮮明になっています。
 尹元凱は『旧・新唐書』に伝記がありますが、そこにはあざなや号を記していません。碑文によって、そのあざなは戫、号は裕明子であることが知られます。彼は篆隷を良くした廬蔵用と親交がありました。なお、石刻に号を記すことは、この碑に始まるようです。
 楊守敬は、篆法は《石鼓文》から出ている、といっています。一部に、篆体としてはおかしな結体も交じり、点画に固さがありますが、玄宗期以前の篆書の史料として、貴重な遺例といえます。