司馬芳残碑

 《司馬芳残碑》は、1952年に西安市で下水道の工事中、西大街の広済街より発掘されました。即日碑林に搬入されたといいます。しかし、発見されたのは上半段のみで、下半は見つかっていません。
 この碑は、北魏の道元の『水経注』(渭水明渠)に著録されている《漢京兆尹司馬文預碑》であると見られ、注目をあつめました。楊勵三氏の『魏志』(司馬朗伝)による考証によれば、司馬芳は晋の司馬懿の父、司馬防であるとしています。芳を『魏志』で防としたのは、曹魏の時代に作られたので曹芳に遠慮し改書したのだとしています。
 立碑者について楊勵三氏は、1965年9 期『文物』で、『魏書』(司馬景之伝・巻37)に出てくる司馬準であろうとしています。『魏書』によれば、司馬準は泰常の末(423) に、3000余家を率いて魏に帰降し、寧遠将軍・新蔡公を授けられました。のち降号して、平遠将軍とし、密陵侯に改め、興光の初め(454)に亡くなりました。
 立碑者が司馬準とすれば、454年以前の立碑ということになります。魏晋の間は建碑が禁止されており、それに続く北魏初期の数少ない書道史の資料として、非常に重要なものとなります。
 その書は、いわゆる北魏風ですが、どうやら南朝人の手になるようです。このことは、碑の円首上部の刻法からも推察されます。とすれば、楷書の成立に関する重要な資料といえます。