東陵聖母帖

 《東陵聖母帖》は、女仙人をまつる廟祀を改修したときの記録を、草書で記したもので、冒頭の「聖母聞…」の二字をとって、《聖母帖》と呼んでいます。
 石刻文によると、聖母は、江蘇省広陵の出身で、東晋の康帝(343-344)の頃の人で、杜氏の妻でした。劉君について仙術を学び、東陵聖母と号し、身を変幻することができたことから神仙とし廟祀にまつられました。
 神仙としての聖母は、常に1羽の青禽(青い鳥)を伴い、姦人や盗賊の徒で、いまだ罪を受けていない者があると、青い鳥が、その徒の廬上(屋舎)の上を翔って罪をくだしました。したがって閭井には、物を獲てこれを隠匿するというようなことはなかったといいます。こうしたことから盗難よけの神として信仰されました。
 この刻石は、その内容からすると江蘇省揚州の東郊にある東陵聖母廟にあるべき性質のものですが、懐素の書という理由で宋の元祐3年2月に長安で刻され、《蔵真・律公帖》などと同様に碑林に収蔵されました。
 この書は、《自叙帖》や《蔵真・律公帖》などのように遒痩清勁ではなく、また《自叙帖》ほど狂逸でなく、筆勢が軽く円転し、線は肥え温潤な筆致であるため、懐素の特色に乏しく、異質なものが多く認められます。しかも石刻文に懐素の款はありません。
 懐素の書であるか否かは別にして、この書は変転自在な筆の流れで、一字一字は懐がゆったりとし、筆の運びには少しも力んだところがなく、運筆の冴えを感じることができます。線質は老筆らしい枯淡な中にも、鋭さと押し迫るような気迫を供え、全体として肥痩さまざまな変化と、曲線的な張りのある線で、しかも屈託のない軽快な流れで最後まで意気が貫通しています。この流れの爽快さには類を絶した美しさがあります。