夢英十八体篆書

 この碑の字面は、縦125p・横80pで、4段に区切られています。上段の冒頭に「南岳宣義大師夢英十八体書」と、1字が2.5〜3pぐらいの大きさで刻されています。これに続いて贈詩者、馬去非・宋白・賈黄中・陳博・趙逢・李頌・盧岳・許道寧・何承矩・呂端・僧永牙・元宝の12名それぞれの詩が48行にわたって刻されています。
 上段に次ぐ3つの段には、各段に一体5字ずつの六体で、合わせて十八体のそれぞれが、1字の縦が約6p、横が約4pの大きさで刻され、その左側には各体ともに3〜4行の解説が付いています。
 碑の右側には《沙門惠休詩》が刻され、左側の上部には「前攝鎭國軍節度巡官安文璨刊」「僧勅信 安懐玉 白文寶 共建」とあり、またその左に「丁卯」と刻されていることから、十干十二支にあてはめて、建碑は北宋の太祖乾徳5年(967)と判ります。その下に郭忠恕の書体の変遷や偏旁字源についての記事が4行にわたって刻されています。
 1行5字の六体、その3段からなる十八体というのは、碑によると第1行目の上・中・下段に古文・大篆・籀文、第2行目の上・中・下段に廻鸞篆・柳葉篆・垂雲篆、第3行目の上・中・下段に雕虫篆・小篆・填篆、第4行目の上・中・下段に飛白書・芝英篆・剪刀篆、第5行目の上・中・下段に薤葉篆・竜爪篆・科斗篆、第6行目の上・中・下段に瓔珞篆、懸針篆・垂露篆を言います。
 このうち古文・大篆・籀文・小篆・飛白書を除く他の篆書体は、現在この碑以外には見ることのできないものです。したがって僧夢英の伝説的なものを文字化した盲作に過ぎないものとしても、篆書体の研究資料として意義があります。