孟顕達碑

 孟顕達は、あざなを令遷といい、武威の人です。文武両道に優れ、忠孝の道に徹した人でした。北魏に仕えて孝武帝に重用され、軍功がありました。北魏の末期には清水公国侍郎を授けられ、西魏の大統元年(525)に蕩難将軍を拝しました。以来、討寇将軍・水曹参軍・羽林監・寧遠将軍・豳州長史・大都督府兼倉参軍などを経て大統16年(550)に輔国将軍・中散大夫を授かりました。魏滅亡前2年、すなわち恭帝の2年(555)に42才で病死し、仮節龍驤将軍・州刺史を贈られました。
 この碑は、彼の軍功を称え、45年後、父を顕彰して長男の孟輝らが改めて正式に葬った際に建てられたものです。しかし建碑後まもなく、唐の韋:::の墓の石槨の蓋に使用されたため、長い間、人目に触れませんでした。
しかも碑陰は斜めに切り取られています、
 その書は極めて整正で筆力が強く、《竜蔵寺碑》と並び称されますが、むしろこの碑の方が格調高く感じます。そのうえ、出土が新しいため、見えないところが少なく、書の範本としては、《孟顕達碑》の方が良く思われます。
 結構は偏平で、重心を低くしています。起筆や転折部は力強く、一見、北魏の《司馬モ墓誌》と書風は似ています。しかし厳しさは柔らぎ、南北の書法を調和させた作として、隋代を代表する楷書碑の一つです。