郭氏家廟碑碑陰

 《郭氏家廟碑碑陰》は34行、3 段に分かれ、上半分を占める上段は32行に郭敬之の男、下半分の上段すなわち中段は19行に孫、下段は4 行に曽孫の名とその官職を列記しています。これにより、郭氏の子孫の栄進ぶりを示すとともに、『新・旧唐書』などの記載を補うことができます。
 その書は、やや行書を交えた楷書で書かれていますが、書者の名は記されていません。碑面の顔真卿の楷書とは、書体も違うし、書風も違うので、その書者について諸説紛々たる状態です。『金石録』は、断然これを顔真卿の書だとしています。趙子の『石墨鐫華』も、その筆力を見ると、顔真卿以外に考えられないとしています。また、『虚舟題跋』は、顔真卿が碑陽を書いているのに、誰がその後ろに書けるだろうか、顔真卿以外に考えられないとしています。
 これに対して、『鐵函齋書跋』は、碑陰は断じて顔真卿の書ではない、趙子の言は信ずるに足りない、としています。しかし、いずれにしても、その理由が明記されておらず、納得できる内容ではありません。
 外山軍治先生は、『書道全集』の解説で、詳細な顔書の比較研究の結果、具体的な例をあげ、顔真卿の書としています。しかし、似ているからだけで断定できるか疑問です。二王と顔真卿を学んだ人は他にいるようにも思われます。が、現在見ることのできる資料からは顔真卿以外に考えられないのも事実です。
 碑陰の書は、二王の流れをくむものと思われますが、形も良く、美しさもあり、それに筆力のなみなみならぬものを感ずる、という外山先生の言は的を得ていると言えます。いずれにせよ、注目すべき碑の一つです。