顔勤礼碑

 顔勤礼は顔真卿の曾祖父です。この碑は、顔真卿が71歳の時、自ら撰し、かつ書した神道碑です。神道碑とは、墓所の側あるいは墓道に死者の生前の功徳を頌して建てた石碑をいいます。
 顔真卿は、安史の乱以後有名になった人なので、44歳の作の《多宝塔碑》以前には何も残されていません。顔真卿の碑刻はかなり伝えられていますが、宋の米芾などもいうように、彼の書はいわゆる顔法風に作為されたものが多いようです。その中で、この《顔勤礼碑》は歐陽脩の『集古録』・『六一題跋』、趙明誠の『金石録』などに著録されているので、宋代にはよく知られていたことがわかります。
 が、元明以後土中に埋没し、1000年近くを経過した後、民国11年(1922)年10月初め、西安の舊藩廨庫すなわち市政司所属の倉庫の後方の土中から再発見され、金石家の注目を新しく浴びました。
 そのためこの碑は、中断してはいますが、拓本ずれした点画のあいまいさがなく、文字がはっきりしています。少なくとも後人の手が加わっていないものと考えられ、いわゆる顔法を探るには重要な資料といえます。
 《顔勤礼碑》は現存する多くの顔書碑の中で最も肉筆に近く、清整な顔体の中にスマートさを秘めています。わが国の書道博物館に所蔵されている顔真卿の真跡と称される《自書告身帖》(建中元年)の筆勢そのままです。