京兆府小学規

 この碑には、京兆府の小学(学問所)の規定が刻されています。京兆とは、漠の武帝の太初元年、右内史を改めて京兆尹という官を置きましたが、その京兆尹の管轄する土地のことをいいます。また、京兆尹の官職のことも指します。
 京兆尹の管轄する土地は、今の陜西省西安以東、華県に至るまでの12県がこれに属します。三国、魏の時代に尹を改めて府としました。
 碑文には、現在で言う校則が書かれています。その内容は、
 一、入学に当たっては、まず家状(年齢や容貌を記述した書類)と家系の保状(保証書)を教授に提出する。
 一、生徒内から学長を2〜4人選ぴ、生徒各自の芸業と点検過犯を伝える。
 一、教授は毎日、経書32紙を講説する。生徒各自は経書の文句の音義(漢字の字音と意味)を誦え、書道・作詩・対句・故事を学ぶ。
 一、生徒各自の学課は、三等に分かれる。
  第一等 毎日任意に選んだ経義三道を質問する。念書100〜200字。学書10行。五七言古律詩1首を吟じ、3日に1首を作る。賦1道・史伝35紙を読む
  第二等 毎日念書100字、学書10行。絶句1首・対句1聨を吟じ、賦2韻を念じ、故事1件を記す。
  第三等 毎日念書57字、学書10行。詩1首を念ずる。
 一、生徒の過犯については、事の大小により、15歳以下は朴撻(鞭打ち)、15歳以上は罰金を課し学内の公用に充てる。(以下略)
とあります。現在もシンガポールに残る鞭打ちの刑がこの頃もあったことなどを含め、教育に携わる者として、興味深いものとなっています。