篆書目録偏旁字源碑

 漢の許慎の著『説文解字』の部首 540字を篆書で書いたもので、その後ろに夢英の自序(373字・楷書4行) と郭忠恕の手紙(347字・楷書4行) が刻されています。
 自序には、「昔、秦相の李斯は蒼頡、史籀の文を変化させて小篆を作った。…程邀は、さらに小篆を簡略化して隷書体を作り、それは速く書くのに適していた。…漢の中興にまた小学を置き、許叔重(許慎)は、籀篆古文の数家の学を集め文字を訓釈して説文三十巻を作った。その後、文字の学問も衰え、六書の法も守られなくなったが、唐に至って李陽冰が篆書をよくした。陽冰の後は、篆書の法は世に絶えたが、自分と汾陽(山西省大原の南)の郭忠恕は、ともに陽冰の篆書の美を、夏の日も冬の夜も習わなかった日のないほどに、これを学んだ。」と記されています。
 要するに、唐の李陽冰以来久しく途絶えて、当時すでに古典的な文字になった篆書の法を研究して、後の人の模範(定本)にしようとした意図によって石に刻したもので、その努力と熱意は敬服にあたいします。
 篆書の本文は、直線・曲線ともに、すべて2mm ほどの幅の線で、同じ筆圧で書かれていて、単調で古くさく感じます。しかしその線は明るく洗練されて、文字の背後にある学問への厳しさがうかがえます。そして全体的には整斉で素朴な感が漂っています。古代の遺物を見られなかった当時を思えば、大変な努力だったと想像されます。
 篆書の本文に続く左側1/3 ほどに刻された楷書の自序は、一字一字がやや長めで、均衡構成で刻されています。歐陽を中核に虞・褚の三大家の風が混ざり合って、鋭く理知的な感じがします。
 因みに、この碑の拓本は、陝西省博物館編の『西安碑林百図集賞』の表紙に使われています。