拪先塋記

 この碑の原石は既に亡失し、現存のものは宋の真宗の時代、大中祥符3年(1010)に翻刻されたものです。しかし、それすらも剥げ落ち、碑頂は割れ落ち、碑も二つに割れています。
 塋とは墓のことで、碑文には、文学に優れ少壮にして仕官しましたが、天命を全うしないで没した李曜卿兄弟を、改めて葬った(塋=遷塋)ことが刻されています。最少弟の季卿が撰文し、季卿の甥の李陽冰が玉筋篆をもって書したものです。その書は、《三墳記碑》とほとんど同じ調子です。
 李陽冰は、字を少温といい、趙郡(河北省)の人。唐代後期に、篆書の名人として、秦の李斯以後の第一人者といわれた書の大家です。李白の父の従弟にあたります。乾元年間(758〜760)、縉雲令に官し、将作少監に至りました。一説に、李潮と李陽冰は同一人物ではないかと言われますが、異論もあります。
 彼は、詩文に秀でました。また小篆を30年間学んだといいます。かつて李斯の《嶧山碑》と、孔子の書いたといわれる延陵の季子の墓字を見て、その書法を会得したと伝わります。一方、文字学にも一家の見識を具え、『刊定説文』を著しています。