大智禅師碑

 大智禅師とは、玄宗から贈られた義福の諡号です。義福の俗姓は姜氏で、上党銅の人です。慈恩寺・福先寺などの諸寺を歴任し、開元24年に入寂しました。この碑は禅師の功徳を頌して建てられました。
 筆者の史惟則は、唐代を代表する隷書の名家の1人です。名は浩、惟則は字です。広陵(江蘇省)の人。天宝年間に、侍御史・集賢直学士となりました。そのため史侍御と呼ばれることもあります。
 勅命によって書画の捜訪に従事し、その功により粛宗の頃から、伊闕県尉を授けられました。その書は、日本ではあまり好まれませんが、実は中国の書の主流をなすものです。
 史惟則の用筆は、筆先が線の中心を走るようにして力強く運筆しています。波発はうねりをもたせ、縦画も抜かずにしっかり止まって筆をあげています。左払いも、重厚な味のある線を最後まで運んで、力強く止めています。結体も横広で、ゆったりとした安定感と、豊かでおおらかな量感を表現しています。
 碑陰に開元29年(741)の追刻がありますが書風が多少ちがいます。両碑側は、牡丹花系花唐草を背景として、それぞれ3体ずつの菩薩像・瑞獣に騎乗する楽人・迦陵頻伽・鳳凰・咋鳥などを線刻し、地はかなり深く沈めてあります。均質で細緻な描線で白描画(線描のみで効果を生み出している画)に類します。
 唐碑の絶作とまで言われ、碑の形式の変遷や、工芸史・絵面史の上でも極めて貴重な資料です。