三体陰符経

 『金石萃編』には、「碑高六尺広三尺六寸二分二十一行行二十字」とのみ記載されています。おそらく原文は入手できなかったと思われます。
 郭忠恕(?〜977)は、洛陽(河南省)の人で、字は如先。後周に仕え、国子書学博士でした。北宋では字書の判定に従事し、字学に詳しく、書画に巧みで、夢英と並んで篆隷の名手とされました。また、大変な酒好きだったとあります。著書に『汗簡』『佩觹』があります。
 この《三体陰符経》は、《黄帝陰符経碑》とも呼ばれ、伝説上の黄常の撰とされる道家の『陰符経』を刻したものです。
 『西安碑林書法芸術』の蔵石細目には、篆・隷・楷の三体とされていますが、原碑を見ると、篆書の下に小さく、右に籀文、左に隷書で書かれており、一見すると篆書だけのようにも見えます。
 その篆書は、細い線で、曲線と直線を巧みに組み合わせ、結構もまとまっています。しかし、青銅器の金文を見ることができなかったこの時代、やはり今一つ物足りなさを感じます。籀文にしても、辞書としての価値すら疑問に思います。とはいえ、宋代の篆・籀・隷を知る貴重な資料といえます。