不空和尚碑

 不空和尚(705-774)は西域(天竺)から中国に帰化した唐代の密教の高僧で、西安南郊の大興善寺で密教を伝教しました。また密教経典77部、120 余巻を翻訳したといいます。後にその門弟恵果が、青龍寺で密教教義を日本の和尚・空海に伝えたことから、密教が日本に広く伝播されました。
 この碑は、不空和尚沒後7年、大興善寺の旧居に建てられた舎利塔のかたわらに建てられ、宋の元祐5年(1090)碑林(前陝西省歴博)に移管されました。
 徐浩の書は「怒り狂える獅子が石をえぐり、喉の渇ききった馬が泉の周りを走っているようである」と評されましたが、この碑は亡くなる1年前の79歳の時のもので、形は整っていますが、骨力に欠けています。こうしたことから後世における批評は必ずしも思わしくありません。
 しかし、実際にこの碑の前に立つと、見事な間架結構と、張りのある清純な線で、全体としては謹直端整で、気力の充実した円満なおおらかな気宇と、堂々とした風格を感じます。