大夏石馬

 南北朝時代の文化は、両晋の後を受け、さらにペルシャ文化を中心とする外来文化の影響によって、その面目を一新しようとする機運に満ちていました。芸術においても、西域化されつつ南北朝固有の発展を遂げました。
 この時代の大規模な彫刻としては、大同石窟寺(現在の山西省大同、455〜492)、龍門石窟(現在の河南省洛陽、500年代)、天龍山石窟(現在の山西省大原、500年代)などがあります。
 こうした石窟彫刻とは別の石彫として、この石馬は、石刻碑形造像や石獣などとともに有名です。
 石馬の両前足の間にある石刻の銘文によると、「大夏真興六年歳在甲子夏……」とあり、一般的にはこれを、《大夏の石馬》と呼んでいます。大夏とは、五胡十六国の一つで、赫連勃勃が義煕3年(407)に統万城に建てた国です。
 石刻の銘文にある真興6年とは、宋の第三代文帝の元嘉元年、北魏の第三代大武帝の始光元年、すなわち424年にあたる年で、この年に造られたことになります。それが長安城遺趾から発掘され、中華民国44年(1955)、碑林に移置されました。
 石馬の高さは190p、頭から尾までの体長は225p、尻の幅は64pです。石質は白っばく、碑林内の諸碑石の黒大理石と対照的です。
 石刻の銘文は、1行5字の9行に、42字が刻されているようですが、中央上部に欠損があったり摩滅したりしていて、現在では27字ほどしか見えず、写真にもほとんど写りません。掲載した写真は、1998年、何年かに一度だという秋の陽射しに恵まれ、やっとのこと撮影に成功したものです。
 書は北朝風の隷書で、力強くおごそかで高大です。長安を執り関中地方を支配した、残忍で知られる赫連勃勃ですが、この作品には、楷書への移行期を感じさせる完成度があります。