1271年〜1368年
「飲飼図」 ☆ 任仁発作 縦29.7p 横186.5p |
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任仁発(1255〜1327年)は、松江府青竜鎮(現在の上海市)の出身です。馬を描くのが得意で、人物画と花鳥画にも秀でました。 |
銅壺滴漏 元・延祐3年(1316) |
磁州窯白釉黒花嬰戯図罐 ☆ 高さ30p 口径18.5p 胴径31p 足径12p |
アラビア数字鉄板 ☆ 1965年陝西省西安市安西府遺跡出土 | ||
中国にある最も古い複式漏壺。 | 1994年中国歴史博物館水底考古班が遼寧省綏中県三道崗海域に沈んだ元代の船の付近で発見したもの。 | この盤の数字の配列は複合式縦横図です。この種の図式はアラブに起源し、元代に中国に伝わってきました。 |
纏枝牡丹紋花瓶 ☆ (竜泉窯) 高さ45.5p 口径19.5p 底径13p |
鏤空座瓶 ☆ (釣窯) 高さ58.3p 口径17p 底径18p |
纏枝菊玉壺春瓶 ☆ (釉裏紅) 高さ32.1p 口径8.4p 胴径20.1p 底径12.2p |
雲竜玉壺春瓶 ☆ (青花) 高さ29.8p 口径8.4p 底径9.9p | |||
1970年内蒙古自治区フフホト市東郊外にある元代の豊州城遺跡から出土しました。竜泉窯はいまの浙江省竜泉県にあり、北宋の時につくられ、元代に引き続き磁器を焼成し、製品は青磁類に属します。 | 1970年内蒙古自治区フフホト市東郊外にある元代の豊州城遣跡から出土しました。釣窯の遺跡はいまの河南省禹県にあり、製品は北部の青磁類に属します。 | 釉裏紅は元代に新たに発明された下絵付けの一種で、彩色釉の中に銅の成分が含まれているため、焼成したあとは赤色を呈します。そのため、釉裏紅と称されています。 | 青花という工芸は唐・宋時期からすでに使用されましたが、普遍的ではありませんでした。元朝になってから大量に使用されるようになりました。 |
☆は『中国通史陳列』より転載