618年〜907年

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彩絵貼金陶文官・武官俑 
1972年陜西省礼泉県鄭仁泰墓出土
唐・麟徳元年(664)

僧一行子午線測量略図
開元12年(724)
 鄭仁泰は諱を廣といい、滎陽開封の出身で、その曾祖父の北斉朝における官職から考えて、恐らくは北魏の鄭道昭・述祖父子に連なる名族、滎陽鄭氏の一族ではないかと思われます。
 太宗の父高祖李淵が反隋の行動を起こした当初から、即位前の太宗に既に側近として仕えています。武徳年間の秦王(太宗)による劉武周、宋金剛、王世充、竇建徳ら諸群雄の平定作戦にもいずれも従軍して、各地で武人として働いています。
 仁泰は、玄武門の変の功によってか、その年に游撃将軍となり、爵位を受けています。以後も官職、爵位は順調に昇進して永徽4年(653)に銀青光禄太夫・使持節となり、顕慶2年(657)には鉄勒・高句麗討伐の功によって、右武衛大将軍・使持節・涼州刺史に至り、上柱国・開国公に封ぜられました。
 龍朔3年(663)1月19日に63歳で病没し、詔によって葬儀費を支給され、代析朔蔚四州諸軍事・代州刺史を贈られ、襄と諡されました。そして翌年の麟徳元年(664)10月23日に昭陵に陪葬されました。
 僧一行は手下に河南省で゜日陰の長さと北極の高度を実地測量させました。
 これは世界で初めての子午線測量の記録です。



筒車(模型) 

開元通宝 

玄奘題名石仏座
 中国歴史博物館が、陳延章の『水輪賦』と王禎の『農書』に基づいて復元したもの。筒車は水力駆動を利用して潅漑する工具で、輪に竹筒を縛り付け、下の方に回った時に水を汲み、上の方に回った時に水をあける仕組みになっています。 直径2.4p
重さ4g
唐・龍朔2年(662)
1977年陜西省銅川市玉華宮遺跡出土
 高さ36p、長さ49.5p。玄奘は『大唐西域記』を著し、出国遊学の時(627年〜645年)、138の国家と都市国家で見たり聞いたりした状況を記載しています。この仏座は玄奘が玉華寺にいた期間の遺物です。



銭鏐鉄券 
唐・乾寧4年(897)

『新修本草』 
唐・顕慶4年(659)発行
 長さ45p、幅29p、厚さ0.3p。銭鏐は、907年に呉越国を樹立しました。農民蜂起の打撃を受けた唐の昭宗は、地方の節度使を籠絡するため、銭鏐に死を免ずるこの鉄券を賜りました。  蘇敬らが編集・執筆しました。これは日本の影写本です。『新修本草』は中国最初の、政府が編集した薬典です。その中の「薬図」部分は、最初の薬物図譜です。


肖像画


白居易

杜甫

李白

柳宗元

韓愈

☆は『中国通史陳列』より転載

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